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下関側から見た関門橋です。
30日金曜日の夜中12時に我が家を出発。
渋滞の中、眠い目をこすりながら走りましたが、
仮眠の連続で7時ごろでやっと関門橋。
今回の旅は、この3月に故郷鹿児島で亡くなった、
ゆうさんの友人のお悔やみが目的。
でも、ついでにあちこち寄り道もしてきました。
早速、直接鹿児島まで行くのは無理と判断。
ゆうさんが以前社員旅行で行った、熊本の地獄温泉に寄ることに。
山の中にある、ひなびた温泉かと思いきや、
なかなか、雰囲気も温泉質も良いカンジ。
GWだからか、湯治の部屋は満室で、
高い部屋しか空いてなかったので、迷わずテントを張ることに。
敷地横の空き地なら一張り600円でした(景色最高)。
あとは、日帰り入浴料一人600円を払えば、何度入浴してもOK。
翌日の朝まで3回入ってきました。
ほんと、良いお湯でした。
翌日は目的地、鹿児島へ。
ひたすら南を目指します。
ゆうさんの友人、たまりさんは写真嫌いで、
あまり写真が無かったらしいのですが、
とても優しい笑顔の遺影がわたしたちを迎えてくれました。
その夜は地元で「砂の祭典」が催されていました。
砂遊び大好き京子は狂喜乱舞で会場を走り回っていました。
日が暮れて、音と光のショーを見ていると、胸がぐっと詰まってきました。
この美しい光景はたまりさんが見せてくれたのかも、と思うと…
夜はたまりさんちに泊めてもらい、お姉さん夫婦とゆっくりお話。
ゆうさんは来てよかったと、酔っ払いながら何度も何度も言っていました。
翌日3日はお姉さん夫婦が知覧の特攻平和会館を案内してくれました。
泣かない人はいないのではないか?と思う、遺書、遺品の数々。
京子はカタログに載っている写真と同じものを探すゲームを自分であみ出し、
コンピューターを検索したり、あちこちを行ったりきたりしていました。
遺書を読みふけり涙ぐんでる親を見切って、おばちゃん誘いゲームをする。
つくづく、たくましい5歳児だと、思いました。
名残惜しいお姉さん夫婦との別れのあと、
指宿温泉の砂蒸し風呂を目指しました。
結局、2時間待ちだったので、もう少し先の山川の砂蒸し温泉へ。
それでも40分待ちやったけど、その間、海岸の砂浜で遊び狂う京子。
砂好きですわ。
暑い陽射しの中さんざん待って、やっと順番が回ってきたのに、
まさかの京子のイヤー!の雄叫び。
砂好きのくせに、もう。
熱い砂の中に埋まるのが怖かったらしい。
しかたなくゆうさんとわたし、交代で砂の中。
同時にすれば20分で終わるのに40分近くかかってしまいました。
もうすでに6時も回ったころ、薩摩半島最南端の岬、長崎鼻に向かいました。
良いタイミングで、夕陽と開聞岳がなかなか綺麗。
いきあたりばったりで入った「季節料理心作」で鹿児島らしい夕食をとり、
夜の間に車を走らせ、山口県に向かいました。
なぜ、山口県なのかというと、
わたしの全国踏破はあと、山口県と沖縄県だけだから。
この旅であとは沖縄県だけとなります。
山口県での目的地は秋芳洞。
山口県のどこでもよかったけど、洞窟、おもしろそうだったから。
予想どおり、なかなかおもしろかったです。
この秋芳洞は秋吉台の中にあります。
なので、まわりに何も無いのです。
関門橋の門司港側で朝食をとってから何も食べていませんが、
食べるところも良くなさそうになので、ちょっとスーパーへ。
そのスーパーで金子みすゞのおまんじゅうが売られていました。
きっとこの辺で生まれはったに違いない、記念館があるかも!と、
ナビで検索。
で、ありました、金子みすゞ記念館。
喜び勇んで車で走らせること1時間と少し。
15時ごろに到着して閉館まで2時間近く、
じっくり楽しませてもらいました。
以前から金子みすゞさんとお友だちになりたいと思っていたので、
とても嬉しく、こころがさざめく時間でした。
まだ明るい帰り道、温泉好きのゆうさんが観光案内誌で見つけた、
俵山温泉へ向かいました。
昭和の温泉って感じのレトロなたたずまいの温泉街。
良いお湯でした。
ほっこり気分のまま、高速道路に向かい夜通し走り、帰路に着きました。
早朝、我が家に入ると、ノアのやつあたりのゲロ吐きがそこらじゅう。
疲れていても、その掃除から始まる後片付けなのです。
しようがないか~長い時間ひとりで留守番するんやからね。
このときだけは叱らないようにしています。
いつもごめんね。
楽しくてせつないGWの旅も終わりました。
今度の旅はどこかな。
早く沖縄県をクリアしたいけど、どうなることやら。